農大歴代之地 その前に「北辰社牧場跡」へ

「東京農業大学開校の地」は、JR飯田橋駅東口からすぐですが、「北辰社牧場跡」に先に立ち寄ります。
目白通りを往復してもよいのですが、今回は飯田橋駅西口から歩きます。
(途中の写真は、本題に関係ないので省略です)

JR飯田橋駅西口改札を出て左手が江戸城外堀の牛込門です。石垣だけが残ります。
交差点を渡り、少し行くと左手に青森のアンテナショップ「あおもり北彩館」があります。
その次の角を左折しましょう。気分は本州最北端から北海道へと向かいます。勝手に名づけて『小樽への道』。正式には、縁結びのパワースポット(と言われています)東京大神宮があるので「大神宮通り」です。
明治9(1876)年刊行の「明治東京全図」を見ると、この道は点線で「新道」と書かれていますので、明治初期にできた道路と思われます。道なりにカーブしながら坂を下っていくと、目白通りに斜めに出ます。



その先の目白通り沿いの一角(飯田橋1丁目5)が「北辰社牧場跡」です。
榎本武揚は小樽に北辰社を設立したのと同じ頃、明治6年に神田猿楽町でも北辰社を創業しています。(両社が同一組織なのか、関係未確認。また大鳥圭介が共同経営者とされているが、大鳥は明治5年初めに出獄後、2年間の欧米視察に出ており、いつどのような形で参画したのか未確認)

北辰社がここ榎本邸に牧場を開設したのも同時期と思われます。

明治13年、前田喜代松が北辰社を譲り受け社主となります。(※1)

この地から撤退した時期ですが、<明治21(1888)年、前田が鬼子母神前に「北辰社」牧場を開いたのが豊島の牧場の始まりとされています>(※2)とあることから、このとき移転したとも考えられます。ただし、北辰社が明治19年12月に出版した「酪農提要」の奥付にも(※3)、明治25年7月3日発行「乳肉新聞」第2号に掲載された「酪農提要」の広告にも(※4)、北辰社の住所として「東京市麹町区飯田町3丁目9番地」が記載されています。

画像



















歩道に建つ標柱(「明治の始め」としか書かれていない)


画像












向かい側の歩道から見た跡地風景。真ん中付近に標柱、
右手「東京大神宮」の大きな石柱の左側が大神宮通り出口


さて、目白通りを飯田橋駅へと戻りましょう。
途中いろいろな標柱がありますが、多くのサイトで紹介されていますのでここでは省略します。

ひとつ、「歴史のプロムナード プロローグ」に <昔々、縄文時代の頃、このあたりは波の打ち寄せる入江でした> とあるように、ここは標高5メートル程度の低地です。万が一の際は、ビルの上階か、飯田橋駅に向かって左手の高台に避難して下さい。



※1 東京牛乳物語 黒川鍾信 新潮社 
※2 豊島区立郷土資料館 ミルク色の残像─東京の牧場展─
※3 国立国会図書館近代デジタルライブラリー → 「酪農提要」
※4 ’乳製品の受容’で検索 → PDF内 「4.3.1 バター・チーズ」の項
明治時代の地図確認
   *国立公文書館デジタルアーカイブ → 絵図(明治以降)
     → 「明治東京全図」(明治9(1876)年刊行)
   *goo古地図の明治時代


この記事へのコメント