農大歴代之地その2の2へ 竹早町
位置の関係から、「その2 大塚窪町」の前に、「その2の2 竹早町」に立ち寄ります。
明治30(1897)年9月9日の台風により、大塚窪町の校舎が倒壊します。この後、竹早町7番地の私立同和小学校2階を借り受けて仮教場とします。
私立同和小:明治20(1887)年7月、浄土宗・真珠院(小石川3-7-4)の僧である茅根学順(幼名・鋪?かま次郎)が小石川仲町に設立、校長を務めていた貧民学校(慈善学校、代用小学校)。敷地331平方m、教室117平方m、体育館162平方m。二階建て木造校舎、3学級、教員3名、生徒80名。
→現在この地区にある各学校と直接関係はなさそうです。
月刊「浄土」1962年 3月号 → P.20 近代高僧伝 茅根学順
横浜国立大学学術情報リポジトリ →「慈善洛東学院とその周辺」

現在の小石川4-1-18から20付近。駐車場左側の建物から白い建物あたりまで(=竹早教員保育士養成所第一校舎、第三校舎付近)が「竹早町7番地」に該当するようです。(駐車場右側は、同校第二校舎)

春日通りには、東京学芸大学附属竹早小・中学校と都立竹早高校の校門が並んでいます。竹早高校校門右側が教員保育士養成所の白い建物です。春日通り沿いには、教員保育士養成所などのビルが並んでいますが、背後に竹早高校の校舎が見えます。
余談になりますが、各校がここに集まっている歴史は明治時代から続いています。
竹早教員保育士養成所:明治21(1888)年、東京府教育会附属保姆講習所として芝麻布共立幼稚園内に創立。1926年、府市合併による帝都教育会の発足により、その附属として東京女子師範学校内に移転する。
都立竹早高校 :明治32(1899)年創立の「東京府立第二高等女学校」を前身とする。創立当初から昭和20(1945)年まで、校長・教職員が東京府立女子師範学校(現・東京学芸大学)と兼務しており、学校行事も合同で実施されていた。
東京学芸大学附属:竹早小は明治33(1900)年、東京府女子師範学校附属として創立。明治37年には幼稚園も誕生。竹早中は昭和22年に創設された。
話を農大に戻します。
大塚校舎が倒壊する直前の明治30年8月、生徒数が思うように増えず資金的に行き詰まっていた(育英黌改め)東京農学校は、大日本農会の附属として存続することとなりました。以降、経営は榎本武揚から横井時敬へと委ねられます。そして明治31年10月9日、渋谷常盤松101番地の御料地内へと移転します。
では順序が逆転しましたが、東京農大歴代の地その2へと向かいましょう。
春日通りを校門に向かって左手へと進みます。目印は「教育の森公園」です。
東京農業大学百年史 発行・東京農業大学
展示案内パンフレット「初代学長横井時敬展」
東京農業大学図書館(2010.10-2011.3)
明治30(1897)年9月9日の台風により、大塚窪町の校舎が倒壊します。この後、竹早町7番地の私立同和小学校2階を借り受けて仮教場とします。
私立同和小:明治20(1887)年7月、浄土宗・真珠院(小石川3-7-4)の僧である茅根学順(幼名・鋪?かま次郎)が小石川仲町に設立、校長を務めていた貧民学校(慈善学校、代用小学校)。敷地331平方m、教室117平方m、体育館162平方m。二階建て木造校舎、3学級、教員3名、生徒80名。
→現在この地区にある各学校と直接関係はなさそうです。
月刊「浄土」1962年 3月号 → P.20 近代高僧伝 茅根学順
横浜国立大学学術情報リポジトリ →「慈善洛東学院とその周辺」 現在の小石川4-1-18から20付近。駐車場左側の建物から白い建物あたりまで(=竹早教員保育士養成所第一校舎、第三校舎付近)が「竹早町7番地」に該当するようです。(駐車場右側は、同校第二校舎)

春日通りには、東京学芸大学附属竹早小・中学校と都立竹早高校の校門が並んでいます。竹早高校校門右側が教員保育士養成所の白い建物です。春日通り沿いには、教員保育士養成所などのビルが並んでいますが、背後に竹早高校の校舎が見えます。
余談になりますが、各校がここに集まっている歴史は明治時代から続いています。
竹早教員保育士養成所:明治21(1888)年、東京府教育会附属保姆講習所として芝麻布共立幼稚園内に創立。1926年、府市合併による帝都教育会の発足により、その附属として東京女子師範学校内に移転する。
都立竹早高校 :明治32(1899)年創立の「東京府立第二高等女学校」を前身とする。創立当初から昭和20(1945)年まで、校長・教職員が東京府立女子師範学校(現・東京学芸大学)と兼務しており、学校行事も合同で実施されていた。
東京学芸大学附属:竹早小は明治33(1900)年、東京府女子師範学校附属として創立。明治37年には幼稚園も誕生。竹早中は昭和22年に創設された。
話を農大に戻します。
大塚校舎が倒壊する直前の明治30年8月、生徒数が思うように増えず資金的に行き詰まっていた(育英黌改め)東京農学校は、大日本農会の附属として存続することとなりました。以降、経営は榎本武揚から横井時敬へと委ねられます。そして明治31年10月9日、渋谷常盤松101番地の御料地内へと移転します。
では順序が逆転しましたが、東京農大歴代の地その2へと向かいましょう。
春日通りを校門に向かって左手へと進みます。目印は「教育の森公園」です。
東京農業大学百年史 発行・東京農業大学
展示案内パンフレット「初代学長横井時敬展」東京農業大学図書館(2010.10-2011.3)
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