177 大日本気象学会会頭 榎本武揚
天保7(1836)年10月5日(新暦。旧暦8月25日)生まれの榎本武揚は、2013年、
生誕177年
を迎えました。
177といえば天気予報。榎本武揚は、大日本気象学会の2代目会頭でした。また、榎本と共と箱館で戦い、前回記事(
視線の先のオランダへ ~歴代公使館編~)では開拓使仮学校校長として名前を記載した荒井郁之助。彼も同じ天保7年生まれ(旧暦4月29日、新暦6月12日)、初代中央気象台長でした。
日本の気象台の歴史(黒文字)と、気象学会の歴史(青文字)を見てみます。
明治5(1872)年8月 日本最初の気象観測所が北海道函館に開設
明治6(1873)年5月 工部省測量司は気象台を設けることを決定
明治7(1874)年1月 内務省に移管され、8月に内務省地理寮量地課と改称
明治8(1875)年6月 内務省地理寮量地課は東京気象台を設立、観測開始
明治15(1882)年5月 東京気象学会創立、気象学の学術的発展が目的、
初代会長:正戸豹之助、当時の会員は38名、いずれも現場の技術者
(中村精男、荒井郁之助、小林一知は、やや遅れて入会)
明治16(1883)年2月 2代会長:荒井郁之助、幹事長:正戸豹之助
明治17(1884)年12月 名誉会長:山田顕義 この年位から活動停滞
明治20(1887)年1月 東京気象台は中央気象台と改称
同年8月 中央気象台測候所条例が公布、気象管署の存立が
明文化されたのを機に、学会再建の気運が高まる
明治21(1888)年1月 東京気象学会時代の旧役員が集まり会則を改め、
会員募集、学会名も大日本気象学会と改める
同年5月26日 地学協会会堂で第1回の総会開催
大日本気象学会初代会頭:山田顕義
明治23(1890)年8月 荒井郁之助が初代中央気象台長に就任
明治24(1891)年8月 小林一知が、 2代中央気象台長に就任
明治25(1892)年12月 大日本気象学会2代目会頭:榎本武揚
(山田の逝去に伴う就任)
明治28(1895)年4月 中央気象台は内務省から文部省に移管
同年8月 中村精男が、 3代中央気象台長に就任
明治45(1912)年4月 大日本気象学会3代目会頭:花房義質
昭和16(1941)年7月18日 社団法人日本気象学会となる
昭和18(1943)年11月 運輸通信省(逓信省と鉄道省が統合)に移管
昭和20(1945)年5月 運輸通信省が運輸省と逓信院に分離、運輸省所管に
昭和31(1956)年7月 気象庁に昇格
気象庁の歴史 (気象庁)
公益社団法人 日本気象学会のご案内 (学会公式HP)
気象学会事始 (PDFが開きます)
日本気象学会機関紙「天気」1976年4月号 根本順吉
大日本気象学会が第1回総会を地学協会会堂で開催したのは、電気学会と同様です。 (
向島 志”満ん草餅 麹町)
初代会頭の山田顕義は、飯田橋の東京農大開校の地(
農大歴代之地その1へ 飯田河岸) のすぐご近所にあった皇典講究所(國學院や日本大学を創設)の所長も同時期に務めておりました。
榎本武揚が明治41(1908)年10月26日に逝去した後、明治45年に会頭を継いだ花房義質は、榎本らと共に明治12(1879)年に東京地学協会を創立した人物で、大正2(1913)年5月4日の榎本子爵銅像除幕式にも臨席しておりました。
(
向島榎本武揚像 祝・建立100年)
なお、山手線目黒駅から五反田駅へ向かう左手にある「花房山」(品川区上大崎3丁目)は、花房が明治44年、この地に別宅を構えたことに由来します。
以上のように、明治時代の逓信省と気象台とは直接関係ありませんでしたが、通信と気象の関わり、そして榎本さん荒井さんについては以下に詳しく述べられています、
初代中央気象台長(上)、(中)、(下) 幕末とうほく余話 No.23-25
んだんだ劇場2006年4-6月号 無明舎出版 加藤貞仁
5月27日の天気図(1) 元海将補伊藤和雄氏の論文
本だな「荒井郁之助」 原田 朗 著、吉川弘文館 (PDFが開きます)
日本気象学会機関紙「天気」1994年10月号 藤谷徳之助
平成21年夏の企画展「気象」 (国立公文書館)

前半は文章だけでしたので、後半は目で楽しんでいただきましょう。
2013年8月31日で閉館した「逓信総合博物館」、通称「ていぱーく」の3階、郵政資料館に展示されていた榎本武揚さん3点です。
(
視線の先のオランダから持ち帰った電信機)
各写真をクリックすると榎本さん部分を拡大表示します。
1箇所目は「郵便の父・前島密」コーナーです。右上のパネルが榎本武揚。
2箇所目は「郵便事業の歴史」です。年表の〒マーク左、文字だけですが。
最後は「郵便のあゆみ」の1885年。日本近代史研究会提供の写真付きです。
来年2014年3 月1 日、東京スカイツリータウン イーストヤード9階にオープンする「郵政博物館」に、武揚さんはどこまで展示されるのでしょうか?
郵政博物館 (正式HP立ち上げ 2013.12.1 予定)
そして、逓信総合博物館が無き今、「逓信」の名を唯一(?)残す、全国14箇所の逓信病院の一部を売却するとの報道も気になるところです。

さて、おかげさまで、今回の記事が『箱田道中』ちょうど50回目となりました。
トップページに最新記事全文を表示していない=記事の全文を読むためには該当記事を表示しなければならないようにしているため、記事ごとのアクセス回数が残ります。古い記事ほど有利ではありますが、アクセス回数トップ5を紹介します。
1
<番外・速報> 高校駅伝男子優勝 広島・世羅高 974
2
農大歴代之地その3へ 渋谷常盤松 794
3
農大歴代之地その3(続) 青山ほとりのHATAKEへ 353
4
水神大橋から木母寺、榎本武揚像へ 305
5
農大歴代之地 その前に「北辰社牧場跡」へ 283
これまでトップページには全記事(冒頭)を表示してまいりましたが、表示可能な最大記事数50に達しました。
だから、というわけではないですが、しばらく冬眠しまーす。
(過去記事の見直し、充実に努めます)
第1章 天気予報の黎明
1.1気象サービスの始まり
1.2「東京気象学会」の設立と「大日本気象学会」への発展
1.3榎本武揚,大日本気象学会の会頭に推挙(就任の辞)
生誕177年
を迎えました。177といえば天気予報。榎本武揚は、大日本気象学会の2代目会頭でした。また、榎本と共と箱館で戦い、前回記事(
視線の先のオランダへ ~歴代公使館編~)では開拓使仮学校校長として名前を記載した荒井郁之助。彼も同じ天保7年生まれ(旧暦4月29日、新暦6月12日)、初代中央気象台長でした。日本の気象台の歴史(黒文字)と、気象学会の歴史(青文字)を見てみます。
明治5(1872)年8月 日本最初の気象観測所が北海道函館に開設
明治6(1873)年5月 工部省測量司は気象台を設けることを決定
明治7(1874)年1月 内務省に移管され、8月に内務省地理寮量地課と改称
明治8(1875)年6月 内務省地理寮量地課は東京気象台を設立、観測開始
明治15(1882)年5月 東京気象学会創立、気象学の学術的発展が目的、
初代会長:正戸豹之助、当時の会員は38名、いずれも現場の技術者
(中村精男、荒井郁之助、小林一知は、やや遅れて入会)
明治16(1883)年2月 2代会長:荒井郁之助、幹事長:正戸豹之助
明治17(1884)年12月 名誉会長:山田顕義 この年位から活動停滞
明治20(1887)年1月 東京気象台は中央気象台と改称
同年8月 中央気象台測候所条例が公布、気象管署の存立が
明文化されたのを機に、学会再建の気運が高まる
明治21(1888)年1月 東京気象学会時代の旧役員が集まり会則を改め、
会員募集、学会名も大日本気象学会と改める
同年5月26日 地学協会会堂で第1回の総会開催
大日本気象学会初代会頭:山田顕義
明治23(1890)年8月 荒井郁之助が初代中央気象台長に就任
明治24(1891)年8月 小林一知が、 2代中央気象台長に就任
明治25(1892)年12月 大日本気象学会2代目会頭:榎本武揚
(山田の逝去に伴う就任)
明治28(1895)年4月 中央気象台は内務省から文部省に移管
同年8月 中村精男が、 3代中央気象台長に就任
明治45(1912)年4月 大日本気象学会3代目会頭:花房義質
昭和16(1941)年7月18日 社団法人日本気象学会となる
昭和18(1943)年11月 運輸通信省(逓信省と鉄道省が統合)に移管
昭和20(1945)年5月 運輸通信省が運輸省と逓信院に分離、運輸省所管に
昭和31(1956)年7月 気象庁に昇格
気象庁の歴史 (気象庁)
公益社団法人 日本気象学会のご案内 (学会公式HP)
気象学会事始 (PDFが開きます)日本気象学会機関紙「天気」1976年4月号 根本順吉
大日本気象学会が第1回総会を地学協会会堂で開催したのは、電気学会と同様です。 (
向島 志”満ん草餅 麹町)初代会頭の山田顕義は、飯田橋の東京農大開校の地(
農大歴代之地その1へ 飯田河岸) のすぐご近所にあった皇典講究所(國學院や日本大学を創設)の所長も同時期に務めておりました。榎本武揚が明治41(1908)年10月26日に逝去した後、明治45年に会頭を継いだ花房義質は、榎本らと共に明治12(1879)年に東京地学協会を創立した人物で、大正2(1913)年5月4日の榎本子爵銅像除幕式にも臨席しておりました。
(
向島榎本武揚像 祝・建立100年)なお、山手線目黒駅から五反田駅へ向かう左手にある「花房山」(品川区上大崎3丁目)は、花房が明治44年、この地に別宅を構えたことに由来します。
以上のように、明治時代の逓信省と気象台とは直接関係ありませんでしたが、通信と気象の関わり、そして榎本さん荒井さんについては以下に詳しく述べられています、
初代中央気象台長(上)、(中)、(下) 幕末とうほく余話 No.23-25 んだんだ劇場2006年4-6月号 無明舎出版 加藤貞仁
5月27日の天気図(1) 元海将補伊藤和雄氏の論文
本だな「荒井郁之助」 原田 朗 著、吉川弘文館 (PDFが開きます)日本気象学会機関紙「天気」1994年10月号 藤谷徳之助
平成21年夏の企画展「気象」 (国立公文書館)

前半は文章だけでしたので、後半は目で楽しんでいただきましょう。
2013年8月31日で閉館した「逓信総合博物館」、通称「ていぱーく」の3階、郵政資料館に展示されていた榎本武揚さん3点です。
(
視線の先のオランダから持ち帰った電信機)各写真をクリックすると榎本さん部分を拡大表示します。
1箇所目は「郵便の父・前島密」コーナーです。右上のパネルが榎本武揚。
2箇所目は「郵便事業の歴史」です。年表の〒マーク左、文字だけですが。
最後は「郵便のあゆみ」の1885年。日本近代史研究会提供の写真付きです。
来年2014年3 月1 日、東京スカイツリータウン イーストヤード9階にオープンする「郵政博物館」に、武揚さんはどこまで展示されるのでしょうか?
郵政博物館 (正式HP立ち上げ 2013.12.1 予定)そして、逓信総合博物館が無き今、「逓信」の名を唯一(?)残す、全国14箇所の逓信病院の一部を売却するとの報道も気になるところです。

さて、おかげさまで、今回の記事が『箱田道中』ちょうど50回目となりました。
トップページに最新記事全文を表示していない=記事の全文を読むためには該当記事を表示しなければならないようにしているため、記事ごとのアクセス回数が残ります。古い記事ほど有利ではありますが、アクセス回数トップ5を紹介します。
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<番外・速報> 高校駅伝男子優勝 広島・世羅高 9742
農大歴代之地その3へ 渋谷常盤松 7943
農大歴代之地その3(続) 青山ほとりのHATAKEへ 353 4
水神大橋から木母寺、榎本武揚像へ 3055
農大歴代之地 その前に「北辰社牧場跡」へ 283これまでトップページには全記事(冒頭)を表示してまいりましたが、表示可能な最大記事数50に達しました。
だから、というわけではないですが、しばらく冬眠しまーす。
(過去記事の見直し、充実に努めます)
第1章 天気予報の黎明
1.1気象サービスの始まり
1.2「東京気象学会」の設立と「大日本気象学会」への発展
1.3榎本武揚,大日本気象学会の会頭に推挙(就任の辞)





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